茶の木はツバキ科の常緑樹(学名:カメリア・シネンシス)で、中国の雲南地方が原産地であると言われています。ツバキのような可憐な白い花を咲かせ、実もつけます。現在、茶の木は、背が高く葉の大きいインド型(アッサム型)と背が低く葉の小さい中国型の2つに大きく分類され、日本のお茶は中国型の系列に入ります。原産地が示すように、お茶はもともと亜熱帯性の植物で、乾燥と低温を嫌います。特に、新芽を出す頃の霜などによる寒害は、お茶の品質、収穫ともに大きく影響します。
茶の木は植えて5年目くらいから刈り取りが行われ、8〜10年くらいまでが最もよい緑茶が取れるといわれています。経済樹齢(栽培して収入が見込める木の寿命)は30年とも50年ともいわれていますが、土壌条件や栽培管理によっても大きく差が出るものと思われます。茶摘みの時期は年3~4回。4月下旬から5月下旬を一番茶(新茶)、6月中旬から7月上旬を二番茶、そして7月中旬から8月上旬を三番茶といいます。
日本全国の茶畑を合わせると、その面積はおよそ5万ヘクタールにもなります。そのうち、さし木栽培による茶畑は95%を越え、種から育てる昔ながらの実生(みしょう)栽培の茶園は、姿を消そうとしています。しかし、気象の変動や病害虫に強い実生の茶畑は、農薬や化学肥料の使用を減らす方向にある緑茶栽培にとって、無くしてはならない存在といえます。
お茶は、中国から南へは陸づたいに伝わり、タイ、ミャンマーあたりで食用として利用されました。茶の栽培に適さない中国北部では、南部で作られたお茶が運ばれ、このお茶は万里の長城を越えチベットやモンゴルまで広がりました。
ヨーロッパに広まったのは大航海時代を迎えてから。当時、中国とヨーロッパの交易を独占していたポルトガルが、広東省の香港・マカオからアフリカ沖を通ってヨーロッパまで運びました。この時、熱い赤道上を航海する荷室のお茶が発酵してしまい、紅茶のもととなったと言われています。 その後イギリスが直接お茶の交易をすべく、福建省のアモイ地方に積み出し基地を設け世界に輸出しはじめました。
このアモイ地区の「茶」の発音【TAI】と前出のポルトガルの積み出し基地であった広東語の「茶」の発音【CHA】の2つが、現在の各国語での「茶」の発音の語源となっています。地図で見ると陸路と海路を伝わっていった様子が分かります。
日本にお茶がいつ伝わったかは諸説ありますが、平安初期には遣唐使たちによって、お茶を飲む風習が伝えられていました。当時のお茶は大変貴重な贅沢品として貴族階級で愛好されました。
日本にお茶が広まるきっかけは1191年、宋から栄西禅師がお茶の種を持ち帰ってからといわれています。この頃から武家階級にも広がってゆき、江戸時代にはいると庶民でもお茶が飲めるようになります。製造方法も、抹茶からやがて煎茶が中心となり、全国的に広がってゆきました。ちなみに煎茶の色や形が現在のようにきれいになったのは、江戸末期から明治になってからのことです。
お茶は現在、嗜好飲料として親しまれていますが、実は薬としての方がはるかに長い歴史を持っています。中国の伝説では、いまから5千年ほど前中国古代の伝説神「神農」(漢方医学の祖といわれる)が、薬としての効能を広めたといわれています。歴史に残る書物の中にも『茶経』があります。これは唐の時代の「陸羽」という学者がお茶の効能を詳しく解説したものです。
日本でも、お茶が伝わった当初は薬としての側面がかなり強かったようです。栄西禅師がお茶の効能を著した『喫茶養生記』という書物にも「そもそも茶というものは、末世における養生の仙薬であり、人の寿命を延ばす妙術である」という一節があります。近年、お茶に関する研究が進められ殺菌作用、抗酸化作用、発ガン抑制作用、虫歯予防などなど数多くの効能が報告されていますが、伝説の昔からその薬理的効能を人々は利用してきたことになります。
現在お茶と呼ばれるものは、不発酵茶(緑茶)、半発酵茶(ウーロン茶など)、発酵茶(紅茶など)の3つに大別することができます。
これは原料となる茶の葉の違いではなく(もちろんそれぞれに適した品種はありますが)、製造方法の違いによるものです。緑茶は摘んできた茶葉をすぐ蒸してしまうので、酸化による発酵がありません。そのため茶は緑色を保ちます。これに対し、紅茶やウーロン茶は加熱しないために発酵が進み、茶の色が緑色から褐色に変化します。紅茶は蒸れるようにしなびさせるのでもっとも発酵が進み、ウーロン茶は日に干してしなびさせるため、紅茶ほど発酵しません。この発酵の度合いが色と味わいの違いとなってきます。
右図の"蒸し"から最初の"乾燥"までが荒茶の製造工程となり、"選別"から"袋詰め"までが仕上げ製造工程と呼ばれます。荒茶の段階で煎茶としての形は出来上がりますが、荒茶の昧や香りのばらつきや形を整えたり、消費地の嗜好にあったブレンドをするのが、仕上げ工程の重要な役割です。
〈煎茶〉
日本の緑茶の7割を占めるのが煎茶。静岡県では、5月初旬の八十八夜の頃に摘まれたものが「一番茶(新茶)」と呼ばれ、6月に摘まれるものが「二番茶」。8月を過ぎて摘まれるものは「三番茶・四番茶」とされ、主に番茶の材料に使われます。
〈玉露茶〉
日本の高級緑茶の代名詞。直射日光を当てずに栽培した茶葉を原料に使っているのが特徴です。水分の多い、柔らかい葉が特徴で、仕上がりは鮮やかな緑色をしています。
〈抹茶〉
玉露茶と同じ茶葉を蒸して加熱処理し、それを揉み込まずそのまま乾燥させたものを「碾(てん)茶」と呼びます。これを石臼でひいて粉状にしたものが抹茶です
〈かぶせ茶〉
玉露茶と煎茶の中間に当たる栽培方法で、玉露の甘み・旨みと、煎茶のほのかな苦みとさわやかな香りを合わせもったお茶です。おもに関西で人気があります。
〈玉緑茶〉
最後の仕上げである精揉(せいじゅう)の行程を行わず乾かします。茶葉は勾玉(まがたま)のような形をし、渋みが抑えられた甘みのある味わいが特徴です。伊豆地方では「ぐり茶」と呼ばれています。
〈番茶〉
硬い葉、茎、葉片、三・四番茶などの葉で作られたもので、渋みが強く、甘味や香りがうすい緑茶です。茶葉の赤茶けていないものは良質です。
〈ほうじ茶〉
下級煎茶や番茶を200℃弱の高温で炒って作ったお茶です。独特の香ばしい香りがあり、下級煎茶特有の渋みも抑えられます。茶茎が細く、均一にキツネ色をしたものが上級品。
〈玄米茶〉
下級煎茶や番茶に玄米を加えたお茶で、炒った玄米の香ばしさが特徴です。
〈芽茶・茎茶・粉茶〉
一番茶と二番茶の芽と若葉だけで作るのが「芽茶」。煎茶や玉露茶の製造過程で除外された茎だけで作るのが「茎茶」。選別時にふるい落とされた粉状のお茶が「粉茶」と呼ばれます。
〈釜炒り緑茶〉
佐賀県の"嬉野茶"や長崎県の"青柳茶"などは、中国の緑茶と同じ「釜炒り緑茶」に分類されています。
*深蒸し茶
深蒸し茶は、蒸しの行程で通常の4~5倍の時間をかけて蒸したものです。通常の蒸しの茶葉に比べ、お湯に溶け出す成分が多く、お茶を淹れる 際の水質や温度に影響されることが少なく、深くまろやかな味わいのお茶が簡単に淹れられます。深蒸し茶が、いつ頃、どこで生まれたかは諸説ありますが、今では掛川茶の荒茶生産量の95%が深蒸し茶で、ひとつのブランドとして確立しています。
お茶をいつまでもおいしく召し上がっていただくために、保存方法にも十分気を使ってあげてください。
〈お茶の大敵は高温、湿気、酸素、光〉
お茶の保存には、涼しくて暗いところが適しています。高温や光による輻射熱、直射日光の紫外線はお茶のビタミンなどの成分を分解、変質させ、味・香りともに劣化させてしまいます。また淹れたときの鮮やかな緑色も色あせてしまい、見た目もおいしくありません。お茶は一度に買いだめせず、新鮮なお茶をこまめに購入するのがコツ。袋から出したら早めに飲みましょう。酸化や湿気を避けるため、保存は密封性が高く光を通さない容器に入れてください。除湿剤の使用も効果的です。
〈冷蔵庫も過信は禁物〉
冷蔵庫は涼しく保存には最適な環境です。しかしお茶は臭いにも敏感ですから、密封容器に入れるなど、他の臭いが移らないように注意してください。また、冷蔵庫から出してすぐに開封すると、温度差で水蒸気が固まってお茶が湿気てしまいます。ひんぱんに使う分を小分けして、冷蔵庫の外の冷暗所で保存するのも良い方法です。
お茶は不祝儀専用の贈りもの、という誤解があります。たしかに香典返しなどに利用されることは少なくありません。しかし、これはお茶が、飲まれて消耗し後に残らないこと、なまものではなく保存がきくこと、軽くて持ち運びやすいこと、故人を偲んで語り合うような場に供されやすいこと等、香典返しに適切な条件を、偶然、よくそろえていることによるものです。地方によっては結納の品の中にお茶を入れることもあり、時代とともに不祝儀専用という誤った理解は解けつつあります。お祝いごとやお中元・お歳暮をはじめ、さまざまなご贈答の機会にご懸念なくお使いいただけます。
緑の線は広東語の発音が語源になったもの
赤の線はアモイ地方の発音が語源になったもの
栄西(えいさい・ようさい)禅師
(1141~1215)。日本臨済宗の開祖。宋に渡り天台宗を修め、日本に禅の普及に努める。京都に建仁寺を開く。
茶経(ちゃきょう)
唐の陸羽によって、8世紀頃の中国で著された10章3巻の書物。唐代までの茶の歴史、製法から作法までの知識を網羅した、世界最古の茶書とされている。
喫茶養生記(きっさようじょうき)
栄西によって承元5年(1211)に著された、上下2巻の書物。茶の栽培、製法から薬効までが細かく記されている。